カテゴリー別アーカイブ: 社長ブログ

2024

07.05

農村地帯をポスティングしていると5月から6月ころには、軒先につばめの巣がある家を見かけます。農家のかたは、つばめが巣を作り始めると、住民の方も嫌がることなく、フンがおちるあたりに新聞紙などを敷いている家が多くあります。なぜでしょうか?

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つばめが巣をつくる家は繁盛する。(子孫繁栄)

農村地帯では、つばめが巣をかける家は、「吉事がある」「縁起がいい」「病人がでない」などといいイメージでとらえています。

あるお店の軒先で見つけた、つばめの巣。ひながかえって親鳥が帰ってくると一斉に騒がしく鳴きます。よくみると、1羽、巣から落ちていました。この子は、どうなるでしょうか?

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つばめが飛べるようになるまでの一番の天敵は、へびです。このあたりですと、青大将とかマムシがいます。私も小さいころ、大きな青大将がつばめの巣を襲い、ひなを一羽まるごと飲み込んでまるまっていたのを見たことがあります。

つばめは、へびからヒナを守るために、人の出入りの多い家を選んで巣をつくると言われています。人の出入りが多い=繁盛=子孫繁栄という図式で縁起を担いでいるのだと思います。

子つばめが巣立つと、いよいよ夏まつりの季節です。

足元の草むらからへびがでてきませんように。そんなことを考えながら歩きつづけました。

 

 

 

2024

06.29

あるまかせての店舗の売り上げが、初めて大台に乗ったのでお祝いに近くのお店に焼肉ランチにいきました。

と言っても店構えはこんな感じ。どうみても江戸時代の豪農または庄屋さんのお宅っていう古民家です。このあたりは本棟造りと呼ばれている建物です。すごい趣があります。店構えはただ者ではない。

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なかに入って、土間から靴をぬいで上がる間がまたすごい迫力。屏風絵がすごい迫力で迫ってきます。あとで店主に聞いたのですが、江戸時代には獣肉食が禁忌とされていましたが、山間部ではイノシシを焼肉としてたべる文化があったそうです。そのころ、イノシシのことを「やまくじら」という別名で呼んでいたので、このような絵をふすま絵師に書いてもらったそうです。店主はただ者ではない。

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左右の襖絵もすごい迫力。ひだりを見ると、おおナマズ。みぎを見るとタコ入道?本当に、ここは焼肉屋さんのお店?なの。

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いくつもある和室のひとつに通されて、メニューからランチを頼みました。その内容は本格的なコース料理のような嗜好でした。古民家でたべる焼き肉(いやいやこれは、本格的な焼き肉コース料理かも)は、最高のお祝いになりました。料理もただ者ではない。

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これでまた次の目標に向かって頑張ってくれれば、今度はディナーに行こうということにしています。さて、それはいつになるか楽しみです。料金もただ者ではない。

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お店の中は、宮崎駿監督の千と千尋のものがたりの世界観のようです。が、土間には、まさか!本当にトトロがいました。どうやらスタジオジプリとも関係がありそうなお店です。日本一焼肉屋さんが多いと最近有名になりつつある地方都市のお店でした。

 

 

2024

06.02

東北の中心都市仙台駅からJR仙石線に乗り換え約40分で、松島海岸駅につきます。5月のある週末にここにある観光ホテルで東北地方でポスティング業を営む会社の創立記念式典があり、ご招待を受けましたので初めて松島へ行ってきました。日本三景のひとつとして有名な観光地です。

予定時間の2時間ほど前に現地に到着したので、街歩きをしてきました。(ポスティング会社の社長としての性分です)

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5年前の東日本大震災の津波が到達した高さがさりげなく書かれていました。松島は天然の入り江のため、近隣の塩釜や石巻では10mを超える巨大津波になりましたが、このあたりでは1~2mだったようです。

お店の窓などにさりげなく、津波の到達位置が書かれていました。

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しばらく行くと「伊達政宗歴史館」があり、兼ねてから東北地方の歴史を知りたかったので入ってみました。館内は蝋人形で、伊達政宗の一生を分かりやすく展示されていました。

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幼少期に疱瘡で、右目が見えなくなります。母親は、片目の政宗を不憫に思い、弟の小次郎を可愛がります。しかし、そのことが将来悲劇につながります。(ここでは省略)

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伊達政宗が、関白秀吉に謁見している様子。

戦国時代は、戦国武将のお家の存続をかけたものがたりが各地に残されています。この伊達家のものがたりはぎりぎりの選択を迫られながら、乱世を生き延びた様子がよくわかります。

ビジネスの世界でも、会社の存続のために試行錯誤しなければならない局面がたくさんあります。常に、直感という感覚を研ぎ澄ませて正しい判断ができるようにしていきたいと思います。

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なぜか、NHK大河ドラマの真田丸のポスターも。このポスターをみるとなぜか長野県人の血が騒いでしまいます。伊達政宗と真田信繁(幸村)は同じ時代の戦国武将なんですね。(2人とも永禄10年1567年生まれ)。碧眼の伊達政宗は、美男子だったといわれる弟の伊達小次郎との確執があったそうです。真田信繁は、父・昌幸の次男にも関わらず長男の信幸よりも武功を立てています。幼少時の名前も長男・信幸が、「源三郎」、次男・信繁が「源二郎」となぜか常識とは逆転しています。兄弟のわだかまりがあるという点でも、伊達政宗と真田信繁は共通項がありますね。

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歴史館をでるとカキの殻の山がどっさりと積まれていました。食堂で食されたカキの殻でしょうね。ところで、東北の会社の創立記念式典はどうだったのか?

ここでは表せないほどの感動、感動の連続でした。そして、会社の力の源泉、創業者への尊敬、社員500人のベクトルの合わせ方、お客様への接待・おもてなしの極意を教えてもらった貴重な体験でした。ご招待いただきまして、本当にありがとうございました。

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そうそう、独眼竜政宗のことば

「曇りなき 心の目を先だてて 浮世の闇を照らしてぞ行く」

と書かれた扇子を買い求めてきました。いい思い出になりました。

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2024

06.01

長野県や山梨県の人が東京にでるもっとも気軽な方法は、高速バスの利用です。すでに大きなニュースになっていましたが、新宿の高速バスののりばがバスタ新宿としてオープンしました。早速利用してみました。

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チケット売り場のカウンターは、まるで空港のカウンターようなおしゃれな雰囲気です。

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JR新宿駅とも直結していて、傘がなくとも移動できます。高速バスのりばが分かりやすく便利になりました。田舎から東京へ出た!という気分にさせてもらえます。ちなみにバスタは、バスターミナルの略ではありません。バスとタクシーのりばの略です。

2024

05.25

皆さんは、道路舗装工事などで白線引きをしている専門作業員の方を見たことがあると思います。その線引き作業にあこがれたことはありませんか?線を引く前と後でガラッと風景が変わる、なにか身が引き締まる風景にすごいと思ったことはありませんか?私は、つねに「スゴイ!」と思っていました。

そこで、会社の駐車場の白線引きに家族総出で挑戦してみました。ホームセンターで専用の塗料とハケ等一式を購入して、いざ快晴の休日を選んで実行です。

最初はこんな感じの駐車場です。

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養生シールを貼っていき、白線を引く位置を確定します。くるまが停めやすいように、事故が起きないようにといろいろと考えて間隔を決めて行きます。

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いよいよ専用塗料を塗っていきます。いい感じです。

作業風景① (800x601) 作業風景② (800x601)

通行人がじろじろと見て行きます。近くをとおるバスの運転手も信号待ちの間、見てくれています。

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約3時間かけて、10数台分の駐車場の白線を引きました。しかし、ここで終わりではありません。

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当社の専用駐車場ということをアピールするためのオレンジ色の専用塗料で「M」のマークを塗って行きます。あらかじめ、型紙をつくっておいてこんな感じに焼き印を押すような感覚で次々に量産していきます。

作業風景③ (800x601) 作業風景④ (800x601) 作業風景⑤ (800x601)

ついに完成!

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こんなところも塗りました。事故が起きませんように・・・と祈りながら・・・。その他① (800x601) その他② (800x601)

この日は30度を超える炎天下だったために、すぐに乾きました。前日にお酒を同僚と飲んだために、自家用車を会社に置いていった社員が、くるまをとりにきました。そして、一緒に、養生テープをはがす作業を手伝ってくれました。

手伝い① (800x601) 手伝い② (800x601)

Kくん、手伝ってくれてありがとう。さてと・・・・

月曜日にどれだけの社員、配布員さんが気づいてくれるかなと、楽しみです。

(社員のみなさん、駐車場の白線引きのご用命があれば社長までご連絡ください)

 

 

 

2024

04.22

4月のある日曜日、白い雪をいただく富士山、ピンクの花を咲かせている桃やプルーンなどの果樹園が散在する街のマラソン大会に出場してきました。

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スタート前はこんなにたくさんのランナーがひしめき合っています。スタートのピストルがなってから、約2分後にスタート地点を通過できました。

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沿道では多くの方が応援してくれました。きれいな桜並木のとおりもコースになっていて楽しめました。

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 子供が手がきの応援プラカード?を掲げていました。応援ありがとうね。仲の良いお友達だね。

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 7kmぐらいのところで苦しんでいる時に、「速度落とせ」の看板になぜかホッしました。

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 当社社員にそそのかされて?参加したマラソン大会でしたが、この数か月10km走るぞという目標をもってやってこれたのはいい経験でした。今回は歩いている時間も多かったので、これからはタイムを設定してまた参加してみたいと思いました。

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2024

04.01

第1回ポスティング川柳コンテストが無事終了しました。先日、優勝者には、特製タブレット端末と特製湯呑み茶碗をプレゼントしました。皆さん喜んでもらえたでしょうか?

さて、宣伝不足の感があった当コンテストが応募期間1ケ月間で347句が集まったことはどのように考えればいいのでしょうか?応募資格は、ポスティングしたことがある人のみという制限があったにも関わらずこんなにも多くの方が応募してくれました。

※コンテストの結果発表は、当HPのバナーをクリックしてご覧ください。

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さて、10位までには入っていませんでしたが、私が注目したのは、「セカオワがやってたからはじめたよ」という詠人さんの1句です。セカオワが、紅白にもでていた SEKAI NO OWARI   のことだというのは、この句で初めて知りました。

そこでいろいろな方に聞いてみると、「セカオワのボーカルの深瀬さんは、学生時代ポスティングのアルバイトをしていたんだよ、それも結構楽しかったみたいよ」「深瀬さんは、テレビやラジオでポスティングの仕事楽しかったと肯定的に発言しているよ」という情報を得ました。また、東京の知り合いのポスティング会社の社長さんに聞いたところ、「TV番組ミュージックステーションにセカオワが出演し、深瀬さんが『ポスティングのバイトしてました』と発言した翌週には、バイトをしたいという若者からの問い合わせが増えた」と教えてくれました。

へぇー、すごい。深瀬さんがポスティングしていたと発言しただけで、ポスティングしたいと思う若者が増えるんだとびっくりしました。今回の川柳を詠んだ詠人さんもその一人と言うことですね。有名アーティストの一言の影響力は、すごいものがありますね。

そこで考えました。セカオワの深瀬さんが、ポスティング川柳の選者になってくれたら、どれだけ全国でポスティングしているひとたちが勇気づけられるだろうと。セカオワ賞(深瀬賞)なんていう賞ができたらいいだろうなと。でも、どうしたらいいのか分からない。だれか、教えてください。

2024

03.26

全国いろんな街で宿泊した際に、早朝ランニングしはじめてから新たな発見が次々とあります。ある街の朝のようすです。朝の商店街を走っていて「?」?????なにかあるぞ、この街は・・・。

まず地元の床屋さん、シャッターに何か書いてありますね。

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なになに、なにか書いてありますね。「坂の上の狐 男が乾いた魚の背にのせて帰る途中、女が泣いていたので馬に乗せて町までいくと女は消え、のせた魚が食い荒らされていた。後日、この道で1匹の狐がその女に姿を変えていた。それをみた男は狐をこらしめた。龍岡の昔話」

どうやら地元に伝承されているむかし話をシャッターに書いたようです。そのまま走っていくと、こちらにもあちらにも、いろんなお店のシャッターに地元のむかし話が紹介されていました。

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街全体が地元のむかし話であふれていました。こんな街に小さい時から住めば、地元への郷土愛が自然とはぐくまれてくるでしょうね。小学生が登校途中にこんなシャッターの商店街を歩けるなんて幸せですね。

保育園や幼稚園の園児が散歩するころには、これらのシャッターはたぶん開けてあるので見ることができないかも知れません。休日にぜひ見てね。

さて、問題です。地元のむかし話があふれているこの街はどこでしょうか?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2024

03.21

1年間にわたり、在籍していた事業構想大学院大学の発表会がありました。私を含め12名が、飯田プロジェクト研究員として、長野県飯田市における事業構想アイディアを発表しました。場所は、日曜日の飯田市役所会議室。牧野市長さん、佐藤副市長さんもお見えの会場で持ち時間の15分を目いっぱい利用して発表しました。

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 私のテーマは、「人海戦術都市の実現をめざして~最盛期の水引産業に学ぶ家庭内労働力の活用~」発表の最後に、サプライズ宣言も入れました。会場からは、どよめきが起きました。内容は、ここでは内緒ですが、翌朝の地元新聞にしっかりと書かれてしまいました。

私も1年間、会社経営と大学院大学の学生と言う両方の立場をうまく利用させていただき、いろんな方とお会いすることができました。これも飯田市というところに住んでいるために実現したことでした。渡辺先生、2期生の皆さん、バックアップしていただいた飯田市の方々ありがとうございました。

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事業構想大学院大学は、東京の表参道駅徒歩2分の南青山3丁目にあります。こちらでも4日ほど講義、ディスカッションのカリキュラムがありました。

これから、私は経営者として、仕事と雇用を生み出し、地域の犯罪を少なくし、労働する皆さんが将来への夢と希望を持てる生き方ができる環境をつくっていきたいと思います。今後ともよろしくお願いします。

 

 

2024

03.13

第一回ポスティング川柳の優勝者に渡す賞品ができあがってきました。

ジャジャジャーン!

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投票の結果、1位から10位に決まった川柳が彫り込まれている特製湯呑み茶碗です。オリジナルです。貴重です。サラリーマン川柳のように世相を表すような一大イベントになったときに、第一回目ということで、将来、非常に価値が上がると思われます。出張お宝鑑定団で100年後には、100万円の値がつきます(妄想です)。

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