カテゴリー別アーカイブ: 社長ブログ

2024

06.09

先日行われた当社の「経営計画発表会」は、当社の未来を占うさまざまなしかけがありました。その中でも、記念講演会の講師をお願いした事業構想大学院大学教授 渡邊信彦先生の晴れやかなうきうきしたご講演が印象的でした。

それは、「来週アップルがVR機器を発表するのではないか?」という期待が高まっているというかなり精度の高い情報を教えてくれました。渡邊教授は、VR関連の会社を起業しており、「数年間、この時を待っていた!」とまで話しておられ、期待感MAXのお話でした。

そして、渡邊教授の期待通り、6月5日深夜(日本時間)アップルは、「Vision Pro」という新製品の概略を全世界に向けて発表しました。NHKニュースやYahooニュースなど多くのメディアで取り上げているので、みなさんご存じかと思います。

 

(出典;アップル社のサイトなどから転用しました)

当社で行っている事業、ポスティング業、住宅購入相談事業などでもなにか活用できるのではないかと思いました。当社社員でも最新のIT関連に興味のある若者に聞くと、やはり渡邊教授の話にかなり刺激を受けているようでした。

このような若者たちがこれからの時代を引っ張っていくのだろうなぁと、うれしく思いました。

就職活動をしている若いみなさんも、私たちと一緒に働きませんか?現在、当社では、10月1日入社または、来年4月1日入社予定の正社員、パート社員を募集しています。ポスティングというアナログな業界でもデジタル、IT人材は必要です。詳しくは、当社人事課へお問合せください。

   ㈱ペーパー・シャワーズ 人事課 (担当/北原・柏原)

   電話でのお問合せ 0265-49-3986(平日9;00~18;00)

 

 

 

 

2024

05.08

当社本社の総務課の大きなキャビネットの一角に1つのファイルがひっそりと鎮座しています。タイトルには、「新型コロナ関連資料 2020年」の背表紙があります。

 → 

 

当社㈱ペーパー・シャワーズでは、当時の会社としての対応の記録を1冊のファイルにまとめております。2020年3月に、当時の安倍首相が小中高校へ休校処置を要請して、WHO(世界保健機関)が新型コロナのパンデミック宣言して世界が混乱したころのことです。

こんな感じです。

 

 

まかせてグループ内では、「明けない夜はない通信」という通信を毎週発行して、お互いに励まし合いながら、情報共有していました。その通信もすべて保存されています。

 

 

 

 

私個人的には、コメディアンの志村けんさんが、新型コロナで亡くなったころが、一般市民の恐怖のピークだったような気がしています。人から人にうつる見えない病原菌という敵がまだはっきりとされていなかったころで、他人を異常に誹謗・中傷するような風潮が高まり、世の中が大混乱していました。

 

 

しかし、そのような世相の中でも、ビジネスを着実につづけてこられたのは、本当に奇跡だったと思います。お客様と当社、配布員さん、当社従業員が信頼関係でつながっていたと感じた事例がたくさんありました。

 

そのために、会社としてそのころ何を考えて、何をしていたのかを記録に残す必要があると感じていました。

 

今後、50年後、100年後に新しい感染病原菌による世界的なパンデミックがまた起こる可能性があります。その時に、会社が存続していたらきっと参考になることがたくさんつまっていると思います。

 

もちろん、このファイルを見返すことがないに越したことがありませんが・・・。

 

 

 

(当時の新聞もファイルに保存してあります)

 

 

 

私は、人類ってすごいなぁと感嘆していた日々でした。世間が混乱していても、未知の感染症に立ち向かう専門家、医療従事者がちゃんと対応をしてくれていました。研究者は一斉にワクチン開発にとりかかり、1年半後には、ワクチンが流通し始めていました。政治家は、新型コロナ特別処置法という法律を短期間で成立させ、東京五輪は1年延期されましたが、2021年の夏にちゃんと東京で開催されました。

 

市民の間では他人への誹謗・中傷が大きな問題になっていましたが、そんな中で、それぞれの立場、部署できちんと仕事をしていた人々がいたから、現在があるのだと改めて思いました。私は、ワクチン接種証明書により、いいことやお得なことをたくさん受けることができました。

 

 

後世のひとびとに、このような3年間のことをきちんと伝えていく責務があるように思いました。人間は忘れやすい動物ですから・・・。

将来、新たなパンデミックが発生したときに、このファイルを当社の後世の社員がみつけて役立ててもらえればと、思います。よろしくね。

2024

04.18

3年に渡ったコロナ禍では、他人とマスクなしで会話することや、日常生活空間からの移動が厳しく制限されました。しかし、今考えるとコロナ禍があったからこそ、出会えたというような人の例が皆さんにもいくつかあるのではないでしょうか?私の身近に起きたそんな物語を連載しています。今回は連載5回目最終回です。

 

○○の星物語-5・・・二期生の野菜づくりは農家顔負け(最終回)

 

○○の星一期生が、人事異動で他の地域へ引っ越していきましたが、かろうじて残ったひとりの青年(B青年と呼びましょう)が中心になって、二期生の活動が始まりました。なぜか、二期生は女性が多く、野菜の作り方も本格的になってきました。

ミニトマトやなす、ズッキーニ、ニンジン、ピーマン、とうもろこし、さつまいもと農家顔負けの資材を使って本格的に農業していました。

こんな感じです。

 

ミニトマトやなす、しその葉など

 

 

 

カラーピーマンにズッキーニ、とうもろこしなど

 

 

 

コロナ禍になって3回目の晩秋の11月のある土曜日、収穫祭をやるので、炭やコンロを貸してほしいと言われ、私たち夫婦も招待されました。目の前に畑が広がる例の小屋の前で、炭火焼きバーベキュー大会でした。この日は、最初に我が家にやってきた一期生A青年も異動先の街からはるばるやってきました。一期生と二期生の交流の場のようでした。

 

夜遅くまで焚火をかこんで語り合っている青年たちのエネルギーは、すごいなぁと感心してしまいました。私にもこんな青春があったなぁ、むかしを思い出します。

 

 

今春も二期生のB青年がちょくちょく畑に顔を見せ始めました。これから、どんな出会いがあるのか楽しみです。B青年は、今年は異動がなかったとほっとしていましたが、来年は分からないと言っていました。二期生のみなさん、今のうちにたくさん野菜をつくって楽しんでくださいね。

私たち夫婦も、下宿屋の夫婦の気持ちで、遠くから見守っていきたいと思います。

 

3年間にわたるコロナ禍は、私たちに大きなストレスを与えましたが、そんな中でも新たな出会いがはじまり、新しい一歩を踏み出す青年たちがいました。そして、そんな青年たちをみて、日本の将来はたくましく、明るいと感じることができました。

5回にわたる連載は、今回でいったん終わりとします。また連載できる日を楽しみにしてください。読んで頂き、ありがとうございました。

2024

04.11

3年に渡ったコロナ禍では、他人とマスクなしで会話することや、日常生活空間からの移動が厳しく制限されました。しかし、今考えるとコロナ禍があったからこそ、出会えたというような人の例が皆さんにもいくつかあるのではないでしょうか?私の身近に起きたそんな物語を連載しています。今回は連載4回目です。

 

○○の星物語-4・・・ついに自分たちの基地を建てた

 

コロナ禍に入って2年目のゴールデンウィークは、大都市を中心に緊急事態宣言が出ていました。しかし、○○の星の皆さんは、春から計画的に畑を耕していました。さまざまな野菜の種や苗を買ってきて、計画的に農作業を進めていました。だれか農業の指南をしている人がいるのか、それとも皆で勉強しながらやっているのか、少なくとも農家の後継ぎであった?私よりは上手に畑を使っていました。

同時に小屋を建てるブロジェクトも進んでおり、毎週土日はほとんど我が家に入り浸っていました。ウッドショックのあおりでキット小屋の材料の調達に時間がかかりましたが、どうやらGW(ゴールデンウィーク)に間に合いました。

 

GW中は、連日のように4~5人が来て、組み立て作業に集中していました。設計図を見て思案していたと思ったら、釘を打つ音が1時間続いたりとか、ともかくワイワイガヤガヤ試行錯誤しながら楽しそうでした。私たち夫婦も遠くから見守っていましたが、日ごとに小屋っぽくなっていくのにびっくりしました。

そのときの様子がいくつか写真に残っていました。

 

 

 

そして、ついに小屋完成!

記念の写真を撮りました。

達成感のある○○の星の皆さんの顔が、本当に楽しそうでした。

 

 

 

早速○○の星の皆さんの着替え用ロッカーや、肥料や農薬や資材道具などを入れました。我が家の道具と彼らの道具をきちんと分けたことで、ますます農作業がたのしくなったようでした。小屋の前で何時間も話し合っている姿も見受けられました。

 

この年は1年間を春から秋にむけて様々な野菜作りにチャレンジしていました。秋には、収穫祭のようなことをして楽しんでいました。

2年目の冬が終わって春になるころに、最初に我が家にやってきたA青年をはじめ主要メンバーのほとんどが職場の人事異動によってほかの支店?へ移っていきました。最後の作業日には、私たち夫婦に菓子折りを手渡してお礼をいってくれました。卒業生を見送る、下宿屋の夫婦のような気分になりました。

 

これで○○の星は解散なのかなと思っていたら、人事異動がなかった1人の青年が、○○の星を引き継ぐことになりました。3年目の農作業は、この残った青年がまた新しい人たちを連れてきました。

 

私たち夫婦は、最初に来たA青年のグループを○○の星一期生と呼び、次の世代のグループを○○の星二期生と呼ぶことにしました。

(つづく)

2024

04.03

3年に渡ったコロナ禍では、他人とマスクなしで会話することや、日常生活空間からの移動が厳しく制限されました。しかし、今考えるとコロナ禍があったからこそ、出会えたというような人の例が皆さんにもいくつかあるのではないでしょうか?私の身近に起きたそんな物語を連載しています。今回は連載3回目です。

 

○○の星物語-3・・・コンクリート打ち作業に歓声上がる

 

私は、コロナ禍になって毎週のようにあった出張がほとんどなくなりました。ビジネス上の新たな出会いは少なくなり、名刺も全然減らなくなりました。私の場合は、各地のポスティングのお手伝いに出かけることで、精神状態の安定が図られていました。

我が家に土日にやってくる○○の星の皆さんは、我が家に農作業にくることによって、精神状態が安定してきているようでした。しかし、冬になり、農作業がほとんどなくなり、なにか持て余しているエネルギーの使い道を探しているようでした。私が提案した、コンクリート打ちしてみる?という提案に、やる!やる!やる!と乗ってきました。

 

私は、そのころ、ソーシャルディスタンス、ステイホーム、三密回避と叫ばれていたコロナ禍だからこそできることは何かと休日の過ごし方を考えていました。そこで、父母が残してくれた干し柿づくり用の鉄骨小屋を一人でDIY(Do-it-yourself)していました。

  

 

 

こんな感じの作業を自己流のDIYで、休日ごとにすこしずつ作業を進めていました。

 

中でも小屋の床を張るための土木作業は、重労働で手探りでした。特にコンクリート打ちは、素人には大変な作業でしたが、面白い作業でした。軽トラを運転して、近くの砂利工場から何往復もして砂利を買ってきました。広大な砂利工場で重機を使って砂利を乗せてくれるイラン人の作業員と顔見知りになったほどでした。

 

 

「コンクリートとセメントとモルタルの違いって知っている?」

なんてにわか仕立ての知識を披露しながら、○○の星の皆さんと一緒にコンクリート打ちをしました。重労働でしたが、一気にすすみました。

 

隣家の女の子が2人遊びに来て、コンクリート打ちを興味深く手伝ってくれたりもしました。記念にコンクリートが固まる前に手形をつくりました。この子たちが大きくなったら、懐かしく思うだろうなぁ。

 

○○の星の皆さんは、さすがに若くて力があるので、どんどんコンクリートを打って行ってくれました。○○の星のみなさんもコンクリートが固まる前に、記念にサインしていきました。

 

        ↓

 

 

予定のコンクリートを打って、お茶を飲みながら談笑していたら、今度は次のアイディアが生まれました。

私「土木や大工の仕事をやりたいんだったら、○○の星の皆さんで農機具を仕舞っておく小屋をつくったらどう?今は、小屋のキットなんかもあるから、楽しいと思うよ。」

○○の星の皆さん「えっつ、やりたいです、楽しそう、やります、やります。」

 

ということで、今度は○○の星の皆さんで、小屋をつくることになりました。私が予算を言って、その中でできるものを探してきて、ここの場所になら建てていいよと指示しただけでした。もうひとつ条件、予算内で費用はだすけど、自分たちだけで最後までやってね。私たち夫婦は一切手伝わないよ、と伝えました。

それから、○○の星の皆さんは、目的がはっきりしたので、ネットや雑誌で情報を集めて、予算内で何ができるかを議論しはじめました。どうやら、小屋キットをつくっている富士見町の工場にまで実物を見に行ってきたようです。1ケ月ほどあーでもない、こーでもないとさまざまな検討をして、私にすべての費用の見積もりを出してきましたので、「じゃあ、これでいいよ。」とゴーサインを出しました。

納品のスケジュールなども考えて、コロナ禍2年目のゴールディンウィークに一気に組み立てるという計画まで立てていました。

 

○○の星の皆さんは、やることがはっきりすると、そのプロジェクトを様々な角度から検討して、創意工夫して実行していく能力が非常に高いことが分かりました。また誰がリーダーというわけでもないのに、各人が作業分担をしていく、チームワークがいいことも分かりました。○○の星の皆さんの目は輝いていました。

 

(つづく)

2024

03.27

3年に渡ったコロナ禍では、他人とマスクなしで会話することや、日常生活空間からの移動が厳しく制限されました。しかし、今考えるとコロナ禍があったからこそ、出会えたというような人の例が皆さんにもいくつかあるのではないでしょうか?私の身近に起きたそんな物語を連載しています。今回は連載2回目です。

 

○○の星物語-2・・・青年たちの笑い声が響く中山間地(ちゅうさんかんち)

 

○○の星のみなさんは、ある時は、1人で、ある時は5~6人でと、皆自由に参加して野良仕事を楽しんでいました。職場の上司が、軽トラックをだしてくれて、牛糞を1杯どこからか調達してきて持ってきたのには驚きました。彼らも本格的に休日の農業?をやり始めました。天気の良い日には、休日の1日をまるまる耕作に励んでいく人もいました。そんな日は、コンビニへお昼弁当を買いに行っているようでした。

1年目は夏からだったので、草を刈って、耕して、畝をつくって、ほうれんそうや白菜やさつまいもなどの野菜にチャレンジしていました。

離れたところにある作業小屋で休憩しているときの青年たちの楽しそうな会話が、我が家にいても聞こえてきていました。A君をはじめとした○○の星のメンバーはその都度異なりますが、農作業のあとには、バスケットしたり、卓球したり、サッカーをしたり、テニスの壁打ちをして帰っていきました。(我が家には、そのような遊べるちょっとしたスペースがあります)

 

また、我が家では、結構独自のイベントがあります。秋には、サンマ焼きパーティ。年末には、先祖代々の石臼を使った餅つき大会。こんなイベントにも、○○の星の皆さんを招待して一緒に楽しみました。

(サンマ焼きパーティでは、フェイスシールドをつけて楽しみました)

 

 

(年末恒例のもちつき大会にも数人参加してくれました)

 

世の中は、ソーシャルディスタンス、ステイホーム、三密回避などで先行き不安な時代でしたが、考えてみると土いじり(農作業)は、精神状態を正常に保つことができる格好のレジャーだということが分かりました。

(秋には落ち葉を集めて、畑でとれたさつま芋を焼いて楽しんでいました)

 

そのうちに、収穫も終わり冬になると、○○の星の皆さんも農作業でやることがなくなり、来なくなりました。コロナ禍も2年目になり、ますます長引くことが明確になり、政府の緊急事態宣言も2回、3回と回を重ねるようになりました。

冬のある日、久しぶりに○○の星の皆さんが、A君はじめ何人か来て片づけなどをしていました。私がお茶菓子をもっていくと、一人が「村松さん、なにかほかに体を動かすことができる作業ないですか?僕たち体がなまっているので、お手伝いしますよ。」と声を掛けてくれました。

そこで私が一考して、「じゃあ、コンクリート打ってみる?」と提案しました。すると、○○の星の皆さん「えっつ、いいんですか?一度コンクリート打ってみたかったんです?やります、やります、教えてください。」

 

へぇー、今どき、こんな青年たちがいるんだという驚きとともに、私もがぜんやる気になってきました。

(次回へつづく)

 

2024

03.20

3年に渡ったコロナ禍では、他人とマスクなしで会話することや、日常生活空間からの移動が厳しく制限されました。しかし、今考えるとコロナ禍があったからこそ、出会えたというような人の例が皆さんにもいくつかあるのではないでしょうか?私の身近に起きたそんな物語を連載してみます。

 

○○の星物語-1・・・一人の見知らぬ青年が我が家のチャイムを押した!

 

それはコロナ禍がはじまって半年したころ、2020年7月の暑い日曜日の朝、ひとりの見知らぬ青年が我が家の玄関のチャイムを押したところから物語がスタートします。玄関先にぽつんと立っているその青年は、カジュアルな服を着て背が高くメガネをかけた20代前半の若者でした。もちろんマスクをしていました。対応した私たち夫婦に、緊張しながらこのように切り出しました。

 

「あの~、こちらで畑を貸してくれると聞いたんですが…」

 

妻の知人から聞いてきたらしい。玄関先で2mの距離を取りながら、話を聞きました。なんでもコロナ禍で職場がリモートばかりになってしまったと言います。この青年をA君としましょう。A君は長野県の隣県の出身で、この年に就職してこの地にやってきたので、アパート暮らしだが、ずっと連日家の中にいて頭がおかしくなりそうだと言います。実家に帰ることもできず、毎日アパートの一室でパソコンとスマホでの仕事なので、体もなまり、同僚にも会えず精神的にまいっているといいます。

 

そこで、休日に、土に触れて畑を耕してなにかを植えたり、育てたり、収穫したりという野良仕事をすれば、いまの精神状態から脱することが出来るのではないかと考えて、どこかで畑を借りられないかと探していたということが分かりました。

 

我が家は、中山間地域に先祖代々つづく家ですが、父母の代まで一生懸命農業を広げてきた田畑が、家の周りにひろがっていました。私の代になってそれらが耕作放棄地になり、草ぼうぼうな状態でした。そのような耕作放棄地は、この地ではどこにでもあります。田畑を使ってくれるなら、私たち夫婦には、願ってもないことでした。

 

「うちにある鍬やトラクターなどの農機具は自由に使っていいよ。(家の目の前が畑だけど)いちいち我が家に顔をだして、その都度あいさつしなくていいので、好きなときにきて自由にやっていいよ。」

「ありがとうございます。では、天候をみて来週の土日から来ます。」

 

と言ってA青年はうれしそうに帰っていきました。

 

翌週、我が家の耕作放棄地の畑には、3~4台の車が停まって5~6人の青年がおりてきて畑を耕しはじめました。

えっつ、一人じゃなかったの?とA君に聞くと、職場で話したら、「おれも・・・」「俺も・・・」「わたしも・・・」「私も・・・」と参加者が増えたといいます。にぎやかになって、まぁ、いいかと見守ることにしました。

 

我が家の前にある耕作放棄地は、県道沿いにあるので、結構くるまが通ります。見慣れた耕作放棄地が急に見知らぬ若者たちであふれているので、近くの村人の軽トラックが時々停まって見ていくようになりました。何がはじまったんだ?・・・という感じです。

 

私たち夫婦は、いつころかその集団を「○○の星」と呼ぶことにしました。○○には、A君の職場の名前が入るのですが、ここでは伏せますので、ご了承ください。

私たちの会話は、こんな感じです。私「今日、○○の星の皆さんは来ていた?」妻「○○の星が、今日は3人来てたわよ。1台あった古い豆トラの動かし方を教えておいたわよ。」「○○の星は、今日は女の子もきてたわよ。聞いてみたら△△県出身だって!遠くから就職して偉いわよね。」

 

このようにして、○○の星の皆さんと我が家の交流が、コロナ禍をきっかけにして始まりました。

(次回へつづく)

2024

03.13

2023年3月13日、いよいよ日本ではマスク着用が個人判断へと舵をきりました。

これは大きな変化になります。思い起こせば、3年前の今頃は、小売店の店頭からマスクがなくなる供給不足に陥りました。全国の小中学校に休校要請がだされたり、コメディアンの志村けんさんがコロナが原因で亡くなられたりと、社会的な混乱がつづきました。当時の安倍首相から、初の緊急事態宣言がだされたのが、3年前の4月でした。

 

長かった~。

 

というのが本音です。この長かった期間に私たちの生活様式も随分と変わってしまいました。この春に中学校、高校を卒業された皆さんは、3年間マスク生活だったために、ほとんど級友の顔を見たことがない状況でした。この学生生活の経験が将来どのように影響してくるのかが、興味深く注目しています。

 

ところで、現在開催中のWBC(ワールドベースボールクラシック)で侍ジャパンチームが1次リーグを4勝0敗で見事突破しました。おめでとう!

テレビで観戦していると、東京ドーム開催中の12日までは、ほとんどの観客がマスク着用していました。

今後16日の準々決勝(対イタリア戦)が東京ドームで開催されます。その際の観客のマスク着用率の低下が明白になることによって、日本全国にマスクを外していいんだという安心感がうまれることが予想されます。今後は、マスク着用が確実に少なくなっていくことでしょう。WBCでの侍ジャパンの戦いとともに、東京ドームでの観客席のマスク着用率に対しても注目していきましょう。

 

PS。このマスクの下がどのようかは予想できませんよね。

 

マスクを外すと・・・

 

 

そうです、こんなにふくよかで、神々しい顔をされていたんですね。七福神のおひとり布袋さまですよね、耳たぶがふくよかで神々しいですね。

ともかく、私たちは前を向いて歩いていかなければなりません。ビジネスにおいても、この3年で培った経験を将来に向けて活かしていきたいと考えています。

 

(次回からは、コロナ禍3年間に我が家に起きた出来事について連載したいと思います)

2024

02.13

本日、2月13日の一か月後、3月13日まであと一ケ月のカウントダウンがスタートしました。

何のカウントダウン?と思われるかも知れませんが、なんでしょうか?

 

そうです。

先ごろ、政府は、新型コロナ感染症対策について、

「3月13日から、マスクの着用は個人の判断に委ねる。」

という基本的対処方針を発表しました。学校教育活動では、4月1日以降は基本的にマスクの着用を求めないとしましたし、それに先立つ3月の卒業式でも「マスクを着用せずに出席することを基本とする」としました。

今後、5月8日には、現在の新型コロナの感染症法上の位置づけを「二類」から「五類」へ移行することを決定しています。新型コロナへの対策としてのワクチン接種も、今後は、年に秋から冬にかけて一度接種するのが妥当との方針を発表しました。

つまり、限りなく「インフルエンザへの対応」と同等になってきたということです。

思えば、3年前のちょうど今頃、全国の小売店の店頭からマスクがなくなり、学校の一斉休校や初めての緊急事態宣言が出されたりと、新型コロナ感染にともなう混乱が始まりした。

やっと、丸3年の歳月をかけて終息を迎えることになります。

おめでとう、がんばったね!人類!

この3年間、人間の性(さが)を見せつけられるような出来事が多く起こりましたが、わたしの周りの皆さんは常に冷静に対応していました。わたし個人としては、人類って、スゴイなぁと思うことばかりでした。未知のウィルスという困難に立ち向かう専門家の人々がいて、知恵を出し合い、議論しあって、最終的には国がきちんと方針を出していくというプロセスがすごいなぁと思うことばかりでした。

特に日本では、国や行政と個人の信頼関係がきちんとできていて、すごいなぁと思っていました。

会社も常にそのような信頼関係で成り立つ関係でありたいと思いました。

 

 

 

 

2024

01.05

新年明けましておめでとうございます。

2023年、令和5年、うさぎ年が穏やかにスタートしました。

皆さまはどのようにお過ごしでしょうか?3年ぶりの行動制限のない正月でしたので、各地では人出がすごかったですね。でもこれが本来の正月だったのですね。以前のことが思い出せないくらい長いコロナ禍でしたね。

当社は、昨年は普通では経験できなようなことをたくさん経験させてもらいました。今年は、一皮むけて、新たなスタートを切りたいと考えています。個人的にも還暦を越えて新たな段階に入ったつもりです。

ケンタッキーフライドチキンを創業したカーネルサンダースは、60歳を超えてからフランチャイズ展開を始め、一気に世界的なチェーン店に発展させました。それまでは米国ケンタッキー州の片田舎でお店を1店舗経営していただけでした。90歳で亡くなったときには、世界に6000店舗のケンタッキー店があったといいます。世界的なプロスキーヤーの三浦雄一郎氏は、80歳になったときに3回目のエベレスト登頂に成功しています。こんなすごい人たちにちょっとでも近づけるように頑張っていきたいと思います。

●ポスティングの「まかせてグループ」

●住宅購入相談所の「すまいポート」

●貸ホールの「南松ホール」

を本年もよろしくお願い申し上げます。

有限会社ペーパー・シャワーズ 代表取締役 村松昭文

⇓本社のとなりの会社の松飾が毎年豪華でほれぼれとしています。職人技ですね。どんど焼きで燃やすのはもったいない芸術品級です。

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