カテゴリー別アーカイブ: 社長ブログ

2024

12.04

私は20代のころ、横浜の会社でサラーリーマンとして働いていました。そのころ、東急東横線の始発渋谷駅からの終着駅は、桜木町駅でした。今は、横浜←→桜木町間は廃線となり、横浜駅からは地下にもぐり、みなとみらい21をとおり横浜中華街まで伸びています。

会社は、桜木町駅から徒歩3分のところにあったので、毎日東横線を利用していました。桜木町駅は、いわゆる労働者の町で、終電が終わっても朝まで開いている居酒屋や立ち飲み屋がたくさんありました。土日は、JRA(日本中央競馬会)の場外馬券売り場があったので、大勢の人波であふれていました。私は活気のある桜木町駅界隈が大好きでした。

私も東急線の沿線に住んでいたので、東急電鉄グループにはなにか親しみを感じています。渋谷109東急百貨店や東急ハンズなども東急ですよね。亜細亜大学や東京都市大学(首都大学)などの大学創立にも大きくかかわっています。

その東急グループの創始者が、五島慶太(旧姓小林)というひとでした。明治15年生まれ、昭和34年に77才で亡くなっています。2000年ころまで、渋谷駅前の東急文化会館の最上階には、五島プラネタリウムがありましたよね。もちろん、五島慶太から名前はきています。

 

その五島慶太は、長野県上田市のとなりの青木村出身ときいて早速青木村へ行ってきました。

村に入ったとたんに、大きな看板が目に入りました。

 

道の駅にも五島慶太の紹介がありました。

 

なんと公園の名前にもなっていました。

 

最近、五島慶太未来創造館というきれいな施設もできました。

 

 

村をあげて、五島慶太を誇りに思っていることが良く分かります。

私の心もうきうきしてきました。東急グループの礎を創ったこんなすごい人が、信州出身だったんだって!未来創造館でじっくりと五島慶太の軌跡を学んできました。(ちなみに入場無料)

 

五島慶太は、その強引なやり方で多くの実業や学校を作ってきたので、あだ名が「強盗けいた」だったということも知りました。そのくらいのアクの強い人でないと戦後復興期に成功を勝ち取ることはできなかったのでしょうね。

 

気持ちがのってきたので、ここまで来たのでパンフレットにあった五島慶太(旧姓小林)の生家を見ていこうと思い、地図を頼りに青木村の山間に入っていきました。

道が狭くなるところに車を停めて、近くの民家でタイヤ交換しているおじいさんに道を聞きました。「五島慶太の生家はどこですか?」すると、このおじいさん小枝を折ってきて、舗装されていない道に、絵を描き始めました。「ここをずっと上っていくと家が途切れる所があって、その右だよ」と・・・。なんか、久しぶりに道を尋ねて、道に絵を書く人に出会えて、ますます気持ちが高ぶってきました。ここの集落は、不思議な静寂につつまれていました。

こんな集落を歩いて登っていきました。

まだまだ先です・・・

 

人っ子ひとり歩いていません。くるまも走っていません。

歩くこと10数分、ついに集落が途絶えました。そこで見たものは・・・・。

衝撃の結末は、数日後にこのブログで・・・。それまで、待てない方は、青木村へ足を運んでみてください。

 

 

五島慶太と青木村に関わる私の物語(後編)をお待ちください。

 

Coming Soon!  後編をお楽しみに。

 

2024

11.24

福島県白河市において、

Begins Today合同会社さま、設立おめでとうございます。

前職からの事業を無事継承し、ポスティング業をメインとした総合マーケティング会社を

目指しているとお聞きして、大変よろこばしく思っています。ポスティング業では、引き続き

まかせてグループの一員としてがんばってくれるとのこと、ありがとうございます。

一緒に日本の地方都市のポスティング業を、社会基盤(インフラ)にするべく喜ばれるビジネスに

していきましょう。

(過日、代表の新矢裕介様は、日本ポスティング協同組合の理事および北海道東北ブロックのブロ

ック長として引き続き継続活動できることが、組合の臨時理事会にて決議・承認されました。誠に

おめでとうございます。周りの方々から祝福されて期待されて、事業をスタートされるというの

は、本当に幸せなことだと思います。)

まさに、Begins Today !  時代を感じさせる社名もいいですね。

今後ともよろしくお願いします。

 

2024

10.27

最近は、めっきりとJRの電車を乗らなくなりました。しかし、がんばっている駅を見つけました。

このコロナ禍で、駅に貼る旅行ポスターが少なくなっていても、それを逆手にアイディア豊富な駅員さんがいるようです。

それは、駅舎いっぱいに貼られている創作カルタ・・・。

 

待合室にも、連絡通路にも、壁一面が創作カルタ(絵札と文字札が対になっています)になっていました。当ブログのタイトル、「あ~ん」は、あ~んではなく、「あ」 から 「ん」 とうことですよ。

 

 

たとえば・・・「あ」

←うまくまとめていますねぇ。駅員さんのセンスが光っています。

 

 

たとえば・・・・「ほ」

←駅員さんの切実な願いがカルタの文句と絵に表れています。

 

たとえば・・・「し」

←障害が稀に発生 玉に瑕(きず) えっ、そんな風に言っていいの?JRの本音トークに思わず引き込まれます。

 

たとえば・・・つづいてまたまた「し」

←日本全国だいたい出せる・・・というフレーズが、これまた謙虚な本音トークが、ますます高感度アップしていきます。「し」を考えた駅員さん、なかなかです。

 

 

たとえば・・・・「ば」

←そこそこできる・・・というフレーズも今の時代、ほっとする謙虚な本音トークですね。好感度アップです。ところで、「ば」っていうカルタあるんですね。

 

 

たとえば・・・「ん」

←もっとも難しい「ん」にチャレンジした勇気に拍手。お父さん、奥さんより仲良くしよう、というえきねっとの願いも秀逸!

 

 

さて、こんなに待ち時間が楽しくなるこのJRの駅はどこでしょうか?

 

(↑これはジプリ無料画像を使用させていただきました)

 

ヒント;そうそう、このJRの駅のホームには、なんと足湯があります。「すわってのんびり足湯」なんて書かれたのれんがひるがえっています。

 

 

 

 

 

 

2024

10.19

先日、あるJRの駅前にある喫茶店に入ったところ、珍しいメニューを見つけました。

「大すずめ蜂 唐揚げ・・・・・550円」

 

大スズメバチ?  の から揚げ? 

・・・喫茶店で?

早速注文してみました。本当に体長4cmほどの巨大なスズメバチ2匹と幼虫のから揚げが出てきました。

食べたあとの触感をジプリ画像で表すとこんな感じです。

会計の際に、「産まれてはじめてスズメバチを食べました。ご馳走様でした。」と女性店員さんへ伝えるといろいろとスズメバチ談議を教えてくれました。いわく・・・・

スズメバチを生きたまま焼酎に入れて熟成したお酒を毎日すこしづつ呑むと、血行がよくなり、冬でも手や足の先まで暖かくなります。そうやって飲んでいる愛好家が何人かいて、そのルートからスズメバチを仕入れているようです。そして、その焼酎漬けのスズメバチの入った瓶を見せてくれました。

これです・・・

大スズメハチがうようよとこずんでいました。

 

 

どこのお店か知りたい方は・・・自分で探してみてください。繰り返しますが、JRの駅前の喫茶店です。居酒屋ではありませんが、メニューは豊富。そういえば、メニューに、イノシシの唐揚げ 870円、ざざ虫 480円、かいこのさなぎ 480円などの超レア物もありましたね。今度、チャレンジしてみようと思います。

 

ヒント;そうそう、ここのJRの駅には、ホームに本格的なぶどう園があります。

 

 

 

 

 

 

2024

10.12

今年は、さまざまな意味で思い出深い年になりそうですね。

9月の初めに近所のスーパーに行くと、秋の味覚、さんまが1尾600円で売られていました。10月のはじめになって、やっと1尾200円ほどに落ち着いてきました。

我が家では、毎年秋に炭火で焼く、さんま焼きパーティを開催しています。これが好評で、近所の若者たちが数人遊びに来ました。

新鮮なさんまを仕入れてきました。今年は高級魚の仲間入りです。

これを七輪で炭をおこして、網の上でやくと煙がもくもくとたちます。

いい焦げ目がついてきました。

さんまの油がしたたりおちて、炎があがります。

きれいに盛り付けると出来上がり。高級魚の風格がでています。これを美味しくいただきます。はらわたも苦みがあり、おいしいです。

ふと、高校生のころに習った昭和の詩人、佐藤春夫の詩がよみがえってきました。

「さんま、さんま、さんまにがいか、しょっぱいか。

そが上に熱き涙をしたたらせて さんまを食ふはいづこの里のならひぞや。

あはれ

げにそは問はまほしくをかし。」

(#ジプリで学ぶ秋の味覚~ジプリの画像を拝借しました)

 

2024

09.30

当社が加盟している日本ポスティング協同組合には、ことしから、川柳委員会という新しい委員会活動が始まりました。4月の東京での初顔合わせの予定が皆さんご存知のような状況になり、延期延期を繰り返し、ついに9月の初めに、長野県松本市で開催されました。

組合には、北海道東北ブロック、関東ブロック、中部北陸ブロック、関西ブロック、中国四国ブロック、九州沖縄ブロックの6つに分かれており、それぞれのブロックに川柳委員が1名おります。その初顔合わせでした。

2日間にわたり、当社すまいポート21松本店の店舗を借りて、上記のような雰囲気で開催されました。感染予防策として、マスク着用、2週間以内に高熱を出されたり体調不良の方は参加不可はもちろんですが、1人1枚のフェースシールドを用意、1時間に10分の強制換気、アクリルボードの設置、マイクを3本用意などと、飛沫感染を防ぐ予防策をとりました。

全国から遠路はるばる集まってくださった方々の労力とその勇気に応えて、

「絶対にここからクラスターは発生させないぞ!」

という強い気持ちで臨みました。おかげさまで2日間の日程が無事終了しました。その後、感染者もクラスターも発生せず責任者として、本当にほっとしました。

これから、2年ほどはこのような時代が続くと言われていますが、どうせ逃げられないのなら、楽しもうと思います。

記念写真も、フェイスシールド、マスク姿で・・・

 

松本城にも行き、通りがかりの観光客の方にシャッターを切ってもらいました。私たちの格好を興味深く見ていましたが・・・。

夜の懇親会もこんな感じでした。

お互いがよく、分かりあえると議論も活発になり、よいアイディアが産まれます。また、雑談がさえてきて、チームの力を感じることがあります。

初回の会合を終えて、約3週間後、9月の終わりに今度は、川柳委員会は、ZOOM会議という形をとり約2時間行いました。

一度ゆっくりと会っている仲間なので、ZOOM会議に移行しても、議論は活発になります。今、世の中では、ZOOM会議などのリモートワークが話題ですが、大前提としてお互いを良く知っていることがより良いリモートワークへ移行する際に大変大事なことだと思いました。

リアルとネット、オンラインとオフライン、現実と仮想、どんなことでも、バランス(調和)を大切にしましょう。極端はいけませんね。

ポスティング川柳委員会の活動内容などは、日本ポスティング協同組合のホームページなどをご覧いただければと思います。

 

 

 

 

 

 

2024

08.17

皆さん、どのようなお盆をお過ごしになったでしょうか?今年のお盆は、例年と異なることが多かったことでしょう。その花火大会は、大変私にとっても貴重な体験でした。

私のメールアドレスに、花火大会の1週間前に、打ち上げ場所と日時を記したメールが届きました。そのメールには、公開禁止、拡散禁止のことばが・・・。つまり特定の人への花火大会への招待状でした。三密を避けるために、近隣住民にも伏せた花火大会の案内でした。

昔から水晶がとれることで有名なその山のふもとに、3年ほど前に倒産してしまった観光施設の広い駐車場がありました。そこが指定された観覧席でした。指定された日時に車でいくと、すでに県外ナンバーのくるまが数台停まっていましたが、なにも看板はありません。

「村松さんですね、ようこそ。ここに車を停めて、あの鎖の先が観覧席です。どうぞ。」と警備員に声を掛けられました。

なにやら特別感のある応対、しかし、鎖の先は、単なる駐車場跡地。観覧席という席もトイレも外灯も屋台も何もありませんでした。花火が打ち上げられる30分ほど前から、そこかしこの暗闇から人の話し声がします。約10組ほどの家族連れやカップルのようですが、なにせ真っ暗で分かりません。

花火製造会社の社長のあいさつがあり、それと同時に山のてっぺんから、花火がどんどん打ちあがりました。まじかでみる花火は迫力があり、轟音が腹にしみます。こんなに、打ち上げ花火に集中できる花火大会があったろうか?大スターマインのあと、二尺玉が大きくあがり、この夜の特別な花火大会は約15分ほどで終了しました。

 

その場にいた数十人の人たちから、期せずして拍手が暗闇の中に鳴り響きました。子供の歓声の声もありました。

観客は、その場限りの一体感を感じました。

様々なお祭りが中止になり、夏の風物詩花火の需要もなくなってしまいました。そんな中、頑張っている花火製造会社さん、花火職人のみなさんがいます。大変な時代ですが、元気を出して、一緒にこの時代を乗り越えていきましょう!

 

 

 

 

 

2024

08.07

皆様、残暑お見舞い申し上げます。

やっと8月になり、梅雨が明けた!と思ったら、もう残暑お見舞いの時期になってしまいました。近年の真夏のポスティングは、本当に過酷な労働条件になってしまいました。当社では、熱中症対策として、移動型配布員および当社社員は、11;00~15;00までのポスティングを、全面的に禁止にしている期間(当社サマータイム)があります。

早朝の涼しい時間帯や、午後3時以降にポスティングをするようにしています。

それでも朝8時でも暑いです。私も久しぶりに先日、ポスティングしました。

暑くなってくると、ボーとして私の頭の中をぐるぐるとエンドレスに流れる歌があります。

ハチのムサシは死んだのさ~、いま50代以上の方なら多分だれでも口ずさむことができる歌謡曲です。(昭和47年=1972年の紅白にも出場していた)

なぜ、この歌が頭の中を駆け巡るのだろう。

歌詞の一部を以下に引用します。

 

「ハチのムサシは死んだのさ

真っ赤に燃えてるお日様に

試合をいどんで負けたのさ

焼かれて落ちて死んだのさ

歌手;平田隆夫とセルスターズ、作詞;内田良平、作曲;平田隆夫

(引用;https://www.uta-net.com/song/3623/より一部引用)  」

 

子ども心にこの歌の意味が分からなくて、怖くて、・・・でも、みな声を合わせて歌っていた昭和の時代でした。それがフラッシュバックするのです。

このコロナ禍で一切の夜の町へ出るのを控えていましたが、先日4ケ月ぶりに取引先のお客様と行ったお店でだされたものをみて驚愕しました。(接待を伴わない夜のお店でした。すでに3週間以上経っています、念のため)

えっ!

 

何っ!

 

これ!

 

お酒の中になにかいる!

 

 

そうです、ハチのムサシが死んでいました

 

ここの女主人が、私たちのためだけにとっておきのお酒を出してくれました。わざわざ遠方からいらっしゃたお客様へとサービスで。焼酎に死んだスズメバチ?1匹のエキスが染み出しているお酒でした。もちろん、このお店のメニューにはのっていません。なじみ客だけにサービスで、だされているようです。

翌日このお酒を飲んだお客様Aさん、Bさんに感想を聞いてみました。Aさん(50代、男性)・・・「うーん、美味しかったよ。夜よく眠れました。」Bさん(20代、男性)・・・「夜、胸がかっかっつして、興奮して眠れませんでした。」

どうやら、若い男性の精力増進に効果があるようです。

ちなみに、私は1滴も飲んでいません。

私の住む伊那谷には、昔から蜂の子を食べる風習があります。土産物屋さんでもこのように高級品として売られています。遠方からいらしたお客様Aさん、Bさんもお土産として買われていました。

  

↑蜂の子の佃煮瓶詰                ↑蜂の子缶詰

さて、これから秋にかけて、ポスティング中にハチに刺されるというような事件が多発する季節です。ポストの陰や、樹木や草が多い茂ったところなどを歩く際には、十分気を付けてください。もし、ハチを見かけたり、追いかけられたりしたら、皆さんの頭の中で、「ハチのムサシが死んだのさ~」とリフレインしてみてください。

ポスティングされている皆様、くれぐれもハチと熱中症には十分気を付けてお願いします。

 

 

2024

07.21

ふと、机の上のカレンダーをみて、気づきました。

21日は、海の日、22日はスポーツの日で東京オリンピック開会式・・・なので国民の休日だったんだ・・・と。4連休か?議員さんも、いろいろと考えて法律も変えて、国民の祝日を合わせて4連休にしてくれていたんだ。

もう、ずいぶんと遠くの話みたいになってしまいましたね。

東京オリンピック、パラリンピック。

もし予定通りだったら、いまごろ日本中がオリンピックモードで盛り上がっていたんだろうなぁ。私も妻に内緒で申し込んだ高い陸上競技場のチケットが、2枚当選していて浮かれていました。が、その後のキャンセルで払い戻しされました。

4月3日には、飯田市に聖火リレーが来る予定でした。こんなチラシが回覧板で全戸世帯にまわっていました。今となっては、なんとも・・・・なんだったんだろう!4月3日は、会社を抜け出して、聖火リレーを応援しようかななんて考えていたんだっけ。タレントの峰竜太さんが走るって、楽しみにしていたんだけどね。

 

いづれにせよ、2020年という年は、多くの人に忘れられない年になりましたね。

 

2024

07.10

6月28日ころから、居座っている梅雨前線が活発化し、ついに7月8日(水)早朝に、長野県・岐阜県に大雨特別警報が出されました。その前週、九州は熊本県などで大きな水害がおきており、ニュースでたびたび放送されていました。

そのためか、多くの皆さんから、長野県は大丈夫か?とご心配のお電話、メールなどをいただきました。この場をお借りして、お気遣い誠にありがとうございました。お礼申し上げます。

幸い、当社および当社社員、配布員、お客様など関係者に被害はありませんでした。

私が住む長野県飯田市には、天竜川という一級河川が流れています。

普段は、こんな感じですが、・・・

   

     ↓                   ↓

     ↓                   ↓

     ↓                   ↓

   

こんなになっていました。ほぼ同じ地点からの撮影です。

地元の人の多くの脳裏をよぎったのは、昭和36年の水害でした。いわゆる「36水害(さぶろくすいがい)」と言われている大災害でした。当時、家や商店や小学校が流されて、それを機会に堤防が強化され、高台に移転がすすみました。しかし、またその水害があったところに最近は、新築の家が多く建つようになり、人気のエリアになっています。

災害が繰り返されなければいいが・・・と心配です。

ちなみに、私の家のまわりでは小規模ですが、土砂崩れが起きておりました。

日本にいる限り、自然災害はどこでも起きうることです。しかし、平時からの災害への備えはできますので、みなさんもできる限りの備えをしていきましょう。

 

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